(トップ画像出典:Wikimedia Commons|Photo by Allan Warren, Jeromie Blum, bobcat rock)
アルミホイルで包めばX線も怖くない?30年前の都市伝説
最初に海外にレコーディングしに行ったのが1995年かな?だから30年も前なんですね。当時はまだテレビや映画の劇伴の仕事はしていなくて、CMの音楽ばっかり書いてました。これが20年前だったら世界中どこのレコーディングスタジオに行ってもProToolsが主流になっていたので、データのやり取りができて事前にセッションをレコーディング・エンジニアに送って準備してもらうとかできるようになったんですが。しかし30年前はNYとLA以外の街でレコーディングするとなるとアナログマルチテープが主流でした。重いんですよ、アナログマルチって(笑)。

まあ僕が持って歩くわけじゃないんですけどね。空港のセキュリティエリアのX線探知機あるでしょ?当然マルチテープもあれを通すわけなんですけど、英語が堪能なディレクターやプロデューサーは、これはレコーディング用のテープで強い磁気に近づけるわけにはいかないんだ〜的なちゃんと説明をして、あの機械を通さないようにしてましたね(まあ、そんな時代ですw)。ただマルチテープをアルミホイルで包むとX線探知機を通しても音質に影響がないと信じて実践しているディレクターも実際いましたが、、、都市伝説ですね(笑)。鉛で包まない限りX線の影響から逃れられないし、そもそも磁気テープには影響がないはずですから。まあでも東京に戻って再生したら音が出ない、、、なんてことを想像したら「できることは何でもするべし」は正しい姿勢として評価してあげたいですね。特にアルバムのレコーディングを海外でしたらそのテープの中に数百万円〜数千万円の結果が全て詰まっているわけですからね。
初の海外仕事はパリ、でも気になるフルフラットシート
僕が最初に海外レコーディングを経験したのはJTがクライアントの案件で、パリでジャズ・バイオリニストのステファン・グラッペリに演奏してもらうという素晴らしい機会となりました。30年前はまだ譜面ソフトを使ってなかったから譜面は手書きでした。最近あまり使わなくなりましたけど、当時写譜ペン持ってました!
※フランス生まれの伝説的ジャズ・バイオリン奏者。卓越した技術と優雅にして洗練された音色により、数々の名演を残し多くの人々に愛されている。
パリはそれ以前にプライベートの旅行で何度か行った事があったけど、ちょうどその頃から飛行機のビジネスクラスのシートがフルフラットになり始めた時代。フルフラット初体験できるかなあ?とレコーディングと全く関係ない事にワクワクしたものでした。飛行機会社はエール・フランスだったのですが、フルフラットの機種は順次導入中で結局行きも帰りもフルフラットのシートじゃなかったのでえらいがっかりした記憶があります。

通訳は誰でも同じ?音楽の現場では意外とそうでもない
さて、最近かなり減ってしまった職業なのですが当時は海外の録音と言わず、撮影と言わずとにかく「現地コーディネーター」を確保するところから現地の準備は始まります。まあ実際これも僕の仕事ではないんですけどね。特にヨーロッパとなると特にスタジオのスタッフには英語が通じない事は珍しくなかったし、契約書に関してもフランス語で書いてあるわけだし、場合によっては税金やミュージシャンのユニオンに対しての支払いもあるので、コーディネーターは必須でしたね。
少し話はそれますが、通訳って誰に頼んでも話の内容は同じだと、、、思うでしょ?でもこれが意外とそうでもないですよ。当時海外のコーディネーターの仕事は多岐に渡っている場合が多かったし、LAやNYであれば比較的音楽とか撮影を中心に仕事を回しているコーディネーターの方がすぐに見つかるんだけど、パリとかミラノみたいな街だと日本の雑誌からファッションショーから日本の新聞の取材から、色んな事をしてらっしゃる場合が多いんです。となると、仮にフランス語を話せると言ってもどこまで”レコーディングに於ける音楽的な会話”が実現するかしないかは、コーディネーターによってかなり変わってきます。そもそも、僕は当時東京在中のフランス人の友達が何人かいたので、「フランス人」的なモノの考え方を少しは体感していて、それゆえの話の面倒くささも(?)何度も経験済みで(苦笑)。さらに実は当時IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)で勉強できないかなと割と真剣に考えていてフランス語も勉強していたんです。実際レコーディング中もその手の意思疎通の問題は若干あったんですけど、まあなんとかなりましたね。ステファンの人格のおかげだったんだ思います。
ステファン・グラッペリと言えば、マヌーシュ・ジャズのギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトとの共演が有名ですね。僕もジャンゴの音楽は大好きで後にフジテレビ「最高の離婚」というドラマの劇伴でマヌーシュジャズを上手くフューチャーできたのも、そもそも僕がそのジャンルが好きだったからなんです。
『お前の譜面はロジカルじゃない!』当日まさかの一言
ステファンに演奏してもらった曲はニール・セダカ作の【Laughter in the rain】(雨に微笑みを)のアレンジバージョン。前日にステファンの自宅に招待されて、ギタリストのマーク・ホセと一緒にニール・セダカのオリジナルを聴きながら僕の譜面を見せて打ち合わせをしたんです。
オリジナルバージョンはミディアムテンポの4/4なんですが、そのレコーディングではそれを6/8のアレンジで録音するという話をした、つ・も・り、、、でした(笑)。しかし当日レコーディングスタジオに入って、リハーサルを始めたらホセが「お前の譜面はロジカルじゃない!」と言い出して(これは英語で直接僕に言ってきたのですぐに理解できた)、昨日の打ち合わせ違う〜みたいな事を言い出したんです。まあ要は多分ホセは譜面を読めない(読まないかな)ので、打ち合わせの時はオリジナルを聞いてこれをマヌーシュ・ジャズとしてちゃちゃっと演奏すればいいんでしょ?みたいな感じに受け取ったんでしょうね?幸い、ベースの(ごめん、彼の名前忘れちゃった)子が音大卒で譜面に強かったので彼からホセに説明してもらえたので、納得してもらえたようでした。彼ら3人のやり取りはフランス語なので僕は正確には理解できませんでしたが、ステファンが、「私とベースでこの譜面通り始めるから、ホセはそれに合わせなさい」と多分言ってくれたんだと思います。8小節も演奏したかしないかくらいで、ホセが2人の演奏に合流してリハーサルはあっという間に済みました。ホセ、左利きなんですよね。僕もギター弾くので目の前のギタリストが何を弾いてるのかはだいたい分かるんですけど、左利きの演奏目の前でみるとちょっとクラクラするんですよね(笑)。
※原曲ニール・セダカの70年代アメリカンポップスを代表する大ヒット曲
日本のアシスタント、優秀すぎて海外からスカウトされる
さて、これも僕の仕事の範疇ではないのですが、当時海外のアナログレコーダーの調整と日本の調整ってちょっと違ったんです。特にアメリカのエンジニアが日本に来ると「おまえらの調整の仕方間違ってるぞ!」と言ってるのを僕も数回目の前で見た事があるので、まあ間違ってたんでしょう。というか、考え方の違いというか、、、これ今の日本の映画のダビングにも言えることなんですが、どこまで機材に負荷をかけるか、ドライブさせるかって昔から日本と海外って違いあるんですよね。絶対歪まないようにセッティングする日本と、そこの調整でWarmにしたりBrightにしたりな使い方をするアメリカとの考え方の違いなんでしょうね。
海外にレコーディング行き始めてびっくりした事の1つに、海外だとエンジニアがテープのオペレーターも自分でやるってことなんです。日本だとスタジオに行くとアシスタントがいて、ほぼほぼレコーディングと言うと彼らがテープレコーダーの調整、再生、停止、パンチインを行います。海外はそれをエンジニアが自分でやる場合がほとんどだったんです。だからアメリカからエンジニアが来ると、日本の調整値に文句言ってたんでしょうね。そして、日本のスタジオアシスタントはテープのオペレーターも完璧だし。(アメリカ人、パンチイン下手な人いると言えばいる、、、)とにかく気が利く子が多かった。ランナー(ちょっとコーヒー取って来てとか言われると走るからランナーらしいw)的な事も文句言わずにやってくれるから日本のスタジオのアシスタントの子が、「君、アメリカに来て働かない?」って誘われてる場面を何度か見た事があります(笑)。
心を入れ替えた日。車椅子で巨匠が奏でた音色
当時パリのスタジオに日本のスタジオならどこにでもあるコピー機がなくて、青焼き複写機だったんです。もう今の子もわからないでしょうけど、僕も小学生くらいに学校で見たのが最後で当時日本ではお目にかかることはないような代物だったんです。あとで考えたら譜面をスタジオでコピーするという習慣があまりなくて、必要なものはスタジオを借りる側が全部用意する〜みたいな文化だったのかも知れません。僕がスタジオのスタッフに譜面のコピーを頼んだらなかなかスタジオに戻ってこなくて、それで戻ってきたら青い紙の複写だったので僕がちょっとイライラした感じになってしまい(汗)。そしたらステファンに「君はジャンゴと似てるな、まあ落ち着きなさい」と言われたので多分ジャンゴも短気だったんでしょうね。

それから、ステファンは現場マネージャーに車椅子を押してもらってスタジオに入って来たのですが、一旦バイオリンのケースを開けると、その瞬間からスタジオの空気も変わり(緊張するとかではないんだけど)、バイオリンから出る音が全て非常に音楽的で圧倒されたのは強烈に今でも覚えています。「ちょっと音出して弓や弦の調子を見る」とか「チューニングする(多分、演奏しながらパパッとチューニングしてたんだとは思いますが)」的な音が一切なくて、とにかく出す音全てが「音楽」だったんです。この日を境に心を入れ替えたのは本当の話で、もっと真剣に仕事に取り組まなくてはと思った最初の海外レコーディングだったのでした。